不眠×過食×鬱

鬱について考える

急に暗いテーマぶっこみますけど、僕は鬱でした。
周りにはあんまり気づかれていなかったけど、間違いなく鬱でした。

なぜか寒い時期になると、そのときのことを思い出して苦い気持ちになるんです。
でも、あえて書こうと思ってパソコンに向かっています。

僕がこの記事を書く目的は2つ。

今、鬱の人達へのメッセージ
周りに人がいる人へ向けてのお願い

鬱っぽいなと感じている、もしくは周りに鬱の人がいるぞという方は、ぜひ最後まで読んでみて欲しいと思います。

Contents

他人は「理解できないもの」を認めない

僕は長いこと精神的に不安定な状態で生活しています。

自殺願望は中学生の頃からずっとだし、高校生の時には

「鬱なんじゃないかな?」

「もし違ったとしても、僕の頭は正常ではないかもしれない」

そういう気持ちと戦っていました。

周りは誰も知らないけれど、自殺未遂も何度か。

鬱の症状もかなり当てはまるけれど、アダルトチルドレンなどにも当てはまる項目があります。

でも、当時は鬱にしろアダルトチルドレンにしろあまり知られていなかったのと、精神病はキチガイみたいな印象が大人の中で浸透していることもあって、僕は誰にも相談できませんでした。

子供ながらに理解したのは、他人は鬱を認めないということでした。

気の持ちよう
鬱は甘え
頭おかしいんじゃないの?

僕の内心を知らない周りの人達は、時々聞く鬱に関して好きなように言っていました。

どれもこれも、否定でした。

このとき傷ついた僕は、大人になっても、周りの否定が恐くて病院には行けずに過ごしていました。

でも、今になったら、周りの人が酷いことを言う理由が分かりました。

理解できないから、認められないのです。

鬱は理解されづらい

鬱は誰もがなる可能性をもっているけれど、なってみないと分からないとも思っています。

いつもかけっこでビリの人の悔しさは、ビリになったことのない人には理解できない。

歌が下手でカラオケに行きたくない人の気持ちは、音痴じゃない人には分からない。

常に1位を取るための努力は、才能だとか言って戦いを放棄した人には知られることはない。

不眠症で毎日眠れない人の絶望は、眠れる人には分からない。

生理痛の痛みやイライラは、生理痛のない人達には理解されない。

 

同じように、鬱でない人が鬱の人を理解できないのは、仕方のないことだと思っています。

鬱で思うように体が動かなくなることも、逃げるという選択肢が見えなくなることも、助けを求められないことも、実際に自分がなったことがなければ分からない。

想像はできるかもしれない。

でも、想像と現実は違う。

現実はもっとしんどくて、苦しくて、どうしようもなくて、もがき苦しんでいる。

鬱の人を表すならこんな状態である

鬱ではない人は「こうすればいいのに」と簡単に言うけれども、鬱になっている人は正常な状態ではないということを前提に考えてほしい。

こういうと鬱の人に怒られそうだけど、「正常だったらできるはずのことができない」状態なのだから、表現としては間違っていないと思う。

物理的に立ち上がって動いていたとしても、精神的には地面を這いつくばって、どうにか繕うことにいっぱいいっぱいなのが、鬱の状態だ。

頭を殴られ、体に突き刺さるナイフ、足はフラフラして立ち上がることはできず、視界はぼやけている。

全身が痛くて、息をするのも苦しいのに、迷惑をかけたくないから、力を振り絞る。

「大丈夫?」と聞かれれば「大丈夫」と言うしかない。

「大丈夫じゃない」と言ってしまったら、もう動けなくなるかもしれないし、心配もかけたくない。自分の情けない所を知られたくない

頑張らなきゃ。

他の人も頑張ってるんだ。

そう言って、どうにか前に進もうとする。

鬱のときはただただ辛い。

鬱は甘えだと突き放すこと

対する鬱の人に厳しい人達は、きっと鬱の人を追い詰めようとしているわけではないことも理解している。

弱気になっているから、発破をかけてやろう。

もっと厳しい生活をしている人もいるんだから、このくらいで参ったらダメだと教えてあげないと。

そんな善意かもしれない。

表面状のどうにか動いている姿を見て、まだ大丈夫だろうと判断している。

僕はそれも仕方のないことだと思う。

彼らには見えていない。

現実はボロボロになって地面に転がっている相手なんだと気づいていない。

だから、好き放題言うし、相手の為だと言って強い言葉を投げかける。

他の人はもっとしんどいから我慢しろ。
俺だって大変だ。お前だけじゃない。
その程度で弱音を吐くなんて、甘ったれるな。

それは、見えている人からすれば、酷い仕打ちだと感じる。

頭を殴られたり、お腹を刺されたり、車にはねられたり、病気で苦しんでいる人間に、そんなことを言うだろうか?

他の人はもっと酷い状態でも我慢してたんだから、お前も我慢しろ。
俺はお前よりも痛い思いをした。
その程度の傷で甘ったれるな。

そうして足蹴にしながら自分の正当性を説く人達に、鬱の人は傷つけられている。

でも傷つかないでほしい。

彼らには鬱で苦しむ人の姿が見えていないから、理解も共感も、手を差し伸べることもしてくれない。

だけど、本当に、見えていないだけなんだと思うから。

仕事を辞められない理由

鬱になると、思考は基本的にネガティブ一直線になる。

前向きな考え方や、受け取り方ができなくなり、疑心暗鬼になる。

ミスが増えると、自信が喪失する。今までできていたこともできなくなっていく。

そして、上司や先輩に注意されたりすることで、更に悪循環になっていく。

仕事が嫌になったとき、あなたならどうしますか?

がむしゃらに頑張る。
仕事を好きになるように努力する。
仕事を辞めて転職する。

人それぞれ、方法はあるでしょう。

鬱になると、頑張らなきゃという気持ちはあるものの上手くいきません。

上手くいかないから、職場に行くのがどんどん苦痛になっていきます。

仕事を辞めても、新しい職場を見つけられる自信がないから、辞めることも躊躇してしまいます。

こんな情けないところを知られたくないから、相談もできなくなります。

もしくは、相談しても厳しいことを言われたり相手にしてもらえないなんてこともあるでしょう。

こうして、相談のタイミングを逃し、辞める選択肢も選べず、徐々に追い込まれていくことで、周りを見渡す余裕もなくなっていきます。

そうして狭まった視界には、困難な道のりだけしか見えなくなる。

たまにちらっと見える崖から飛び降りたら、楽になれるかな?なんて魔が差すのです。

ぼんやりとした頭で、自ら崖に足を進める状態が、鬱で自殺を図る人の心理に近いような気がします。

人に相談できない理由

鬱になると人に相談できない人が増えます。

よくある理由としては、

プライドが許さないから。
相談したけど、突き放された。
まともに相談に乗ってくれる相手がいない。

この3つだと思います。

鬱になりやすい人の特徴として、真面目だとか完璧主義であることが挙げられます。

この特徴を持つ人達は、真面目なので「自分の努力が足りないんじゃないか」とか完璧主義ゆえに「できない自分が悪い」と、自分を責めやすいです。

更に言うなら、できない自分を恥じる気持ちが強く、相談できないパターンです。

次にありがちなのが、相談したものの、突き放されてしまった場合。

例えば、仕事のことで悩んだとき、親や友人に話したとします。

けれど、

「お前の頑張りが足りない」
「やり方が間違っている」
「本当に努力したのか?」
「それどころじゃない。こっちだって大変なんだ」

というように、突き放されたらどうでしょうか?

鬱の時は心に余裕がないので、こういった言葉を全部そのまま受け止めてしまいます。

こんな風に信頼している人から突き放されたら、相談できなくなりますよね。

そして、そもそも真面目に相談に乗ってくれる相手がいない場合。

相談される側相談する側は、不思議と別れています。

いつも相談されてばかりだな、いつも相談してばかりだな、のどちらかに偏りがちです。

鬱になったときも、いつも相談されている側は相談相手がいません。

このような場合は、心療内科などを頼るのがいいのですが、まだまだ心療内科や精神科は敷居が高く、相談しにくいです。

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「死にたい」は本心

「死にたいって言うヤツほど死なないよな」

「死にたい人は何も言わずに死ぬから、死にたいって言っている内は大丈夫」

こんな言葉を耳にすることがあります。

僕は、断言しますが「死にたい」は本心です。

実際はもっと複雑ですが。

死にたいけど、死ぬのは恐い。
死にたくないけど、死ぬしかないんじゃないか。
迷惑をかけたくないから、消えたい。
死んで全部終わりにしたい。
死ねばこの苦しさから解放されるんじゃないか。
死ぬのは恐い。
でも生きるのも恐い。
死にたいというこの気持ちから逃れたい。
死ぬほど苦しい。
助けてほしい。
無理ならいっそ殺してほしい。

こんな風に「死にたい」って口にする人は葛藤している。

「死にたい人は何も言わずに死ぬ」というのは、鬱の場合だと衝動的に死ぬ確率が高いから結果的にそうなっているだけなんじゃないかと考えます。

 

 

ある日突然、名案が閃くんだ。

「今、ホームに飛び込めば死ねる」

「死んだらもう、会社に行かなくていい」

絶望の中で、ぶわっと希望が満ちあふれる。

そのときは、それが最善ですごくいい方法に思える。

死への恐怖も、不思議と感じない。

どこか興奮したように人生を終わらそうと歩を進める。

間違いなくそのときの思考は正常ではない。

けれどおそらく、そうして死んだ人もいるはずだ。

衝動に抗えず、運悪く止めに入る人もいなければ、誘惑に従って足を踏み出してしまう。

 

ちなみに、これは実体験から言語化しています。

僕は駅のホームではなく、車の前に飛び込みたくなったりするんだけど。

邪魔(大きな音とか)が入ると我に返って思いとどまれるので、今のところ直前で回避していますが。

たぶん、邪魔が入らなければ死ぬ瞬間まで正気には戻れない。

 

ちなみにだけど。

もちろん、構ってちゃんもいる。

「死にたい」という言葉で、誰かを繋ぎ止めようとする人もいる。

それは鬱ではなくて、違う病気か、愛情を欲しているのだと思う。

周りの人の愛情不足が原因で生まれるのが構ってちゃん。

周りに鬱がいる人へ

最近は鬱に関して認知されてきて、理解を示す人が多くなったことで、鬱をカミングアウトする人も増えてきました。

もし、相談されたなら、話を聞くだけでいいです。

どうか突き放さないでほしいんです。

鬱は、一人で治すのがとても難しい。

自分ではどうしようもないくらい、気分が落ち込んだり、動けなくなったり、死にたくなったりします。

薬を飲んでもすぐには治らないし、心ないことを言われる時もある。

一度鬱になると、治るまで戦い続けないといけない。

それも1年なのか、5年なのか、死ぬまでなのかは分かりません。

その先の見えない戦いを一人で続けていくのはとても苦しく、心細いです。

たまにでいいから、話を聞いてあげてほしい。

鬱になった家族や、友人が最後まで生き抜くために、ほんの少し、気を配ってほしいと思います。